つどいにつどえ—TSUDOE in TSUDOI―

何がしたいのかな?

~9年目で思い知らされた現実~ ‐3.14常磐線全線復活に想ふ‐

この記事には私の不十分な過去の記憶を引きずり出した記載が多く、推測や別の解釈もございます。

いち都民として僅かに残る記憶です。

事実とは異なる表現があるかと思われますが、ご了承下さい。

 

 

 

 

....それは、突然に起こった。

唐突に襲い掛かってきた。

 

貴殿はその時、何をしていたのでしょうか?

 

 

 

2011.3.11

 

――中学生だった私はその日、学校全体で行われる合唱祭なるイベントの為に学年合同でリハーサルを行っていた。

学年、クラスごとに競われるもので、毎年それなりの気合が入り混じる大会である。

 

午後から始まったリハーサルは順調に進み、さて我々のクラスの番。

体育館に用意されたひな壇にウン十人と並び立つ。

学年全員が揃った中を我々が見下ろすと歌が始まり、クラスなりの努力が詰まった歌は淡々と進んでいく。

 

....それは、突然に起こった。

唐突に襲い掛かってきた。

 

中学生の奏でるハーモニーとは全く別の合唱....いや、轟音が。

地響きがした。

 

最初は何が起きたのか全く分からない。

見下ろしていた学生達が段々と騒ぎ出す。

「揺れてる!!」「揺れてるよ!!!!」「大きい!!!!!!」

先導するピアノはまるで行き場を失ったかのように鳴り止み、つられて歌も立ち止まる。

 

狼狽と混乱の中で叫ばれた。

「皆中央に集まるんだ!!!」「急げ!!!!!!」

かすかに届いた野太い声にひな壇上の我々は一目散に駆け下り、眼下のコロニーに混じる。

泣き出す子、恐怖におびえる子、唖然とする子。

その縦揺れは...

....体育館をただならぬパニックに陥れた。

 

分からない。

どのくらい続いたのか。

正確には「憶えていない」のだが....

 

震度5強。都23区の数字。

それまで生きてきた10年足らずでは経験したことは無い地震だった。

 

数回の激しい縦揺れをやり過ごし、校庭に出た我々はただただ待ちぼうけるしかなかった。

他の学年生も校舎からぞろぞろと避難。

 

落ち着かない学生を宥めるように先生達は奔走する。

「校舎に大きな被害は少ない」「このまま待機するように」「とにかく全員無事」

.....学校はそれなりの耐震構造。

見た目の大きな損壊もなく、平静を待ってからその日は帰路に着く。

家にいた母親は疲弊しきった様子で迎えてくれた。

「とにかく家は無事」「家具も小規模の破損で済んだ」「怖かったけど無事に帰ってきてくれてよかった」

それだけでも安心だった。

 

残念ながら父は音信不通。

ただ、勤め先の都内から6、7時間かけて家にたどり着いたのは夜中だった。

 

父の無事を待つ間、テレビでは地震の規模が次々と伝えられる。

「東北地方で震度7」「津波が太平洋沖で発生」「海岸線は甚大な被害」「死者行方不明者数千」

 

ゾッとした。

いや、分からない。

混乱。

何が起こったのかが段々と整理されて伝わるようになってきた数日後。

 

福島第一原子力発電所メルトダウン

「福島の原発が爆発した」

原発事故で放射線放射能が」

連日ニュースで叫ばれた。

 

....少なくとも当時は鉄道に興味の薄かった私。

だが、常磐線がそれにより長期にわたり復旧が不可能という話だけは妙に頭の中に残っていた。

あらゆる箇所が流され、そもそも立ち入れなくなった...

 

 

 

ただ、私の周辺は何事も無かったかのように時は流れ。

出会い、別れを繰り返し中学、高校、社会人...

 

2020年。

富岡~浪江間の開通を3月に控えた1月初頭。

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福島県いわき市

友達といわきに来ていた。過去記事にもよく出てきた大切な友人である。

何の気なしに。

 

いや、この時は「常磐線全線開通による営業撤退車」を撮影記録しに来たのである。

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勇退する651系

正確には勇退した651系

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かつては仙台まで彼が特急として駆け回っていたタキシードボディのスゴイやつ。

 

 

.....とはいえ、これの記録がテーマで全線再開の事など何を思うでもなかった。

 

その場所へ辿り着くまでは...

 

 

撮影を終え、ふと思い立った私たちは北上することにしたのだ。

復活が待たれる浪江方面へ。

 

いわきから先、震災当初運休となっていた広野は既に再開発され、

駅前は線路を挟んで海側はやたらと綺麗に作り替えられた。

水が押し寄せたのだろうか...高い堤防も備わっている。

 

国道には「このさき津波浸水区域」の看板がいくつも建てられているくらいである。

 

 

2020年1月現在での南の終着駅、富岡。

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閑散としてはいるが、駅は綺麗で立派なもの。


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建て替えられたのだろうか、

元の富岡駅は恐らく...なのだろう。

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駅には似つかわしくない放射線量の計測器。

ただ、原発に近いエリアの公共施設...高速道路なんかにもそこら中に設置されている。

 

 

再会を間近に控えてか、北へ向かう表示機も動いている。

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真新しい構内。

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海側は道路整備だろうか、開発だろうか。

確かに広野からここまでこの手の景色をいくつか見かけた。

一度流されているのか...それとも...

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再開と復興に向けてきっと必死になって整備しているのだろう。

頭が上がらない。

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試運転列車が往復する。

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全線復活までの間、富岡から浪江までは代行のバスが出ていた。

とはいえ列車が来ていないのでそもそもコンコースに誰もいない。

いるとしたら駅となりのレストランが賑わっている。

時間帯によっては往来があるのだろう。

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富岡は立派な橋が架かろうとしている。

いつかはこの上を車が通るのだろうか...

 

 

ここから更に北上。

この先は説明した通り、富岡~浪江。全線開通の大トリ。沿岸には福島第一原子力発電所があり、再開する3駅の周りが帰還困難区域から一部解除となる。

車は1本の国道が繋がっているようだ。

実際ニュースで散々流れた帰還困難区域とは。

 

 

 

....さて、浪江まで通り抜けた国道に想像もしてなかった非情な現実があった。

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「ここは帰還困難区域」と立て看板。

現れたそれにぐっと緊張感が走る。

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2011年の3月14日。未曽有の震災が東北地方を激しく襲った。

そしてこの数日後、原発事故によりすべてが止まった。

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窓ガラスが砕け散ったガソリンスタンド。

もろく崩れ去った倉庫。

瓦の剥がれ落ちて斜めになった家々。

色褪せた朽ちたボウリング場。

2時46分で止まったままの時計。

 

 

現実が、

動かぬ証が、

何を語らずとも我々を迎えてくれた。

 

 

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走らせると、住宅街が立ち並ぶエリアに。

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建物全てに立入禁止のバリケードが張られている。

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「凄いな...徹底的にバリケードだもんな」

「絶対入るんじゃねえって事よな....」

「そうだね...」

 

動画を回しながら車中喋ってはいるものの、瞬間の心中は動揺していた。

唖然とか茫然とかそんな単純な感情じゃあない。

テレビで見たから知ってる、なんてもんでもない。

生ぬるくない、この目で見る冷たい現実である。

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コンビニだって。

このまま。あの時のままなのだろう。

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各所の交差点ではあちこち作業員が立っており、

時折作業車が出入りでチェックを受けているようだ。

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やおら大きな検問があった先に見えた、

あの遠くに見えるのは...

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位置的には恐らく....あそこなんだろうな。

うっすらとカバーの見えるあそこで....なのだろうな。

 

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中身は何だろうか。

黒い廃棄袋が各所にびっしりと積み上げられ。

黒って確か、放射線を通しにくいと聞いたような...

 

分からないが、確かに言えるのが、

これが9年前、起こった事でできたもの。

そこは、復興が出来ず2011年3月で止まってしまった世界。

作業員以外誰一人いない世界。

建物はあるのに生を感じない世界。

その場に、その目で、見なければ分からなかったであろう。

通らなければ思いもしなかった感情。

私自身強烈に、鮮烈に学ばされた。

 

蛇足だが、一昨年は鉄道で今年は車で、仙台まで足を延ばした。

 

一昨年は仙台から原ノ町へ。

一足先に開通した常磐線の車窓はほぼ真新しい高架。

全て流されて内陸側に作り替えられたと。

その区間に入ると人の気配、車、建物....いや、人工物が全くなくなる。

言い表せない世界。何もない中をただ電車が走るだけなのだ。

 

今年車で仙台入りした際もそうだ。

未だあちこちで整備。舗装された道路だけが淡々と続いている区間が多い。

9年の時が過ぎても、途上なのだ。

我々がいくら被害を忘れようと、事実この場では作業が続けられているのだ。

 

通り抜けるタイムスリップは浪江の駅前まで続いた。

海側の通りもまた、生の気配がない。

見えるのは壊れた建物、褪せた住宅。

 

駅前通りを抜けて、駅舎を見て我に返る。

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富岡駅とは違い懐かしい香りのする駅舎が、

ここは押し寄せなかったという事なのか。

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代行バスだろうか。

次の時間までかなり時間があるようで...

 

構内に入ると

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さっきの試運転か。

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開通したらこの柵も取り払われるのだろう。

今現在はこの新たなホームを使っているはず...

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 彼もまた、全線復活の際に勇退する719系

 

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 これに至っては日を改めて撮りに来たくらい。

 

 

 

――そして、3月14日。

ダイヤ改正により常磐線全線復活の日

 

2番列車のひたちだったが、お見送りをすることに。

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私の微かな記憶の片隅にあった白い車体の「常磐線特急の仙台行き」が姿を変えて復活した。

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情勢が情勢なだけに控えめの催しとなってしまったが、各地で復活の証として祝いや感謝のアナウンス、出迎えやお見送りなどが行われたそうだ。

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仙台まで伸びてる...

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復興の、復活の象徴として...第一歩である。

時間と余裕が出来たら、次は電車で通ってみよう。

 

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富岡駅で食べた美味しい鶏だしの効いた塩ラーメンも、

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仙台で洒落た牛タンなんてのも悪くない。

 

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真夜中に海岸線で澄んだ夜空を眺めるもいい。

行ってみなければ分からない。

とはまさしく、この事。

 

なにより自分で全てを目の当たりにしなければ凍らせたブログに記事として残すこともなかっただろう。

 

 

 

....それは、突然に起こった。

唐突に襲い掛かってきた。

 

貴殿はその時、何をしていたのでしょうか?

 

 

 

2011.3.11――今も残る爪痕。

 

追悼黙祷だけじゃぁ分からない。

震災と原発事故という動くことのない現実が、いまもその場に佇んでいる。

生で見ねば触れねば分からない感情を、3.11を思い返す日本は福島。

 

 

そんな中での常磐線全線復活。

東京と仙台を...いや、福島を、全てを繋ぐ鉄路。

いつの日かまた、すべてが動き出すことを祈って.....

 

 

最後に

本震災...東日本大震災にて亡くなられた方、行方不明となった方、

心からご冥福をお祈り申し上げます。